クリアしました。
特に何も感動とかなく、思っていたとおりのエンディングでした。
最初から最後までこのゲームはクソゲーで、
だからこそマッドマックスで、
それこそが神ゲーになりえたと思う。
多分別の時にやったら絶対こうは思わない。
今の自分の心境というか境遇というか、それだからこその、
神ゲーマッドマックスになったのかなという感じです。
しかし最後まで車の挙動はバカでした。
これ作ったヤツは完全に無能のバカです。
このゲームのマシンは何らかの力が加わるとすぐ横や後ろを向いて
スピンして止まるようにできているので、マシンをどれだけアップグレードしても、
例え小石であってもちょっとしたオブジェクトであっても、敵のマシンや壁、
もうありとあらゆる所でスピンしてひっくり返る。これが本当にバカです。
なのでどのゲームでもクソつまらなく出来の悪い追いかけっこミッションが
不快極まりないクソゲー中のクソゲー。本当に無能のバカが作ってます。
ここだけでマイナス200点くらいいきますね。
車ゲーが少しでも苦手と思う人はプレイしないほうがいいです。
バットマンアーカムナイトもバットモービルのクソゲーになっていて、
多分この頃のワーナーゲームに車推しのバカがいたんでしょう。
そいつを見つけたら私は椅子にくくりつけて回し続けてやるか、
そいつが見るモニタを定期的に横に向く呪いをかけてやるか、
30秒に一回ウインドウズアップデートを通知してやります。
それくらいの不快度ってことですw
そうはいってもこのゲームに登場する世界はホントにどうでもよくて
もはや救いとか未来とかそんなものもないので、ウォーボーイもバカばっか、
そんな世界で好き勝手やるだけなので、ようするに良くも悪くも
何をやっても期待するほうが間違いだっていうその程度のレベルです。
正直もうちょっとバカゲー度を追求すれば面白かったとは思うけど、
無駄に期待せず希望を持たずにやれば神ゲー。
オープンワールドとしても、映画ゲーとしても、バトルも車も、
なにもかもどっかからパクってきて作りました感丸出しの世界なんですけど、
そんでも80年代ハリウッド映画で育った人からすれば
この鉄とガソリンと火、タフネスと暴力と爆発、それだけで生きていく
というのが実にしっくりくるものがあるのも確かで。
便利なものなど何もありゃしないけど、ドアを蹴破ったり、
ペンチで叩いて何かを壊したり、鉄骨のタラップを歩く時のカンカン言う音、
車のエンジン音、くず鉄、スクラップ、廃墟、荒野。
そしてその世界は滅びてなおも美しく壮大である。
じゃあ一体このゲームには何があるのか?
何故そんなクソゲーが、神ゲーたりえたのか?
ただの雰囲気ゲーではないのか?
もちろん大切なものがある。とてもとても大きなものが。
しかしそれはゲームの中にあるのではないのかもしれない。
その後の混乱の中で今に至るまでに、過去の平和な世界を生きていた人々は
写真のきれはしを持ち、そこに様々なメッセージを残していた。
在りし日の風景に映されているものは、もう全て何も残っていない。
それは電気やキレイな水や食料、町並みといった形だけではなくて、
信頼や友情や家族などといった目に見えないものも含めて全て。
こんな世界に誰がしたのか?もうそんなことすらどうでもいい。
結局誰も生きてはいない。勝者も敗者もいない。
人間は世界に対して責任なんか取ることはできない。
そして世界を救えるヤツもいない。
もうここには答えも何もありはしない。全てが消え去ってしまった。
主人公マックスはかつての日々を知っている男。
大いなる喪失を続けた結果、もはや彼も自分に何かが残っているとは思ってない。
何の目的も意思もなく、ただその場に生きている。それだけ。
そんなマックスにこのゲームは問いかけてくる。本当にもう何もないのか?
彼は空っぽになってしまったのか?他のモヒカンと同じように?
心は。ちっぽけな良心は残っていないのか?
もう人であることもやめてしまったのか・・・?
フォールアウト4をプレイした時、私は最初はあの世界にはもう
何も残っていないのではと思っていた。死んだ世界であると。
しかし旅を通じて世界がまだ生きていると感じることができた。
だからこそあの世界で人間としてやっていけるという確信を得た。
しかしこのマッドマックスの世界には何もない。
本当にそういうものを感じる要素がない。ミリ単位で残ってはいるが。
同じ世紀末の世界ながら、この差は本当に全く別のものだった。
プレイしている最中に愛着を感じるようなことがなかった。
それはきっとマックスも同じで、何がどうなろうと結局のところ
自分とは何も関係のないことだと通り過ぎてきた。
ライフイズストレンジをプレイした時、ゲームシステムを否定するかのように、
過去をやり直すということに何の興味も湧かなかった。
同時に未来の運命を変えようと思うこともなかった。
このマッドマックスの世界もまた、過去は既に失われ、未来もない。
そんな世界で動物のように生きていくだけなのか?
プレイヤーにとってもそれはもう何もない世界なのか?
しかし最後に待っているであろうドラマを予感しても
結局それは何も変わることはありませんでした。
というのもこれはマックスの物語で私の物語にはなりえない。
どれだけこの世界で好き勝手にやっていこうとも、
映画へと続いていく彼の行く末を眺めるだけのものだからだ。
エンディングを見終わった後、マシンを走らせ、砂漠の先へ、
何もない、ビッグナッシングへと向かいそのまま消えて終わる。
それが私にとってのマッドマックスであった。
フォールアウト4、ファークライプライマル、そしてマッドマックス。
文明社会と遠く隔絶された世界、しかしこの世界とつながっているかもしれない
IFの世界をプレイすることは、今いるこの自分の居場所がどれだけ
恵まれているかということを再認識するだけなのかもしれない。
現実には水も食料も家も電気もあるし家族もいる。何も失ってはいない。
去年の大変化でいろいろと喪失した気になっていて
実際失ったものも大きかったと思うけど、でも全部ではない。
自分に何もないのでは?と思っても、喪失を恐れるものがまだたくさんある。
多分それは気が付かないけど大事なものだ。
マッドマックスの世界へ行くには早すぎるしその準備もする気はない。
同時にマッドマックスの世界はもはや失われた過去を振り返るものではない。
そんなことをしても無意味だし、何も残ってやしない。
希望を抱いて生きていくのは難しいが、後ろを向いて生きていくには過酷すぎる。
絶望などありふれていてとっくに死に絶えた。
砂の下に消えてしまったものを追い求めても仕方がない。
そういう心境でプレイしていると、このゲームは神ゲーなのです。
過去でもない。未来でもない。ただ今この時を生きていく。
マッドマックスはただそれだけのゲームである。
しかしその今をよりよきものにできるかどうかは、自分しだいだ。